レペゼン 

日々の気づき、目標設定etc

サイクルに注意を向ける

「予測は不可能、準備は可能」を拝借した。将来に何が起きるのかは絶対にわからないが、様々な可能性に備えて傷を浅くすることはできる。人生と同じく、投資の世界では確実なことなどほとんどない。価値は消失するかもしれず、予測は外れうる。環境は変わる可能性が有り、「確実なこと」が崩れる場合もある。それでも、胸を張って信じられる原則が二つある。

●原則その①・・・ほとんどの物事にはサイクルがあることがやがて判明する。

●原則その②・・・利益や損失を生み出す大きな機会は、周りの者が原則その①を忘れたときに生じることが有る。

ほとんどの物事は一本調子には進まない。全身もすれば、交代もする。好調だったものが不調に転じたりもする。急速に前進した後、減速する場合もある。じわじわと悪くなっていたものが、急激に悪化することも有る。だがどれも根底にあるのは、物事は上昇と加工、成長と衰退を繰り返すという基本原則だ。経済、市場、企業も例外ではない。必ず浮き沈みがあるのだ。

我々が生きている世界にサイクルが存在する根本的な原因は、人が関わっていることにある。機械に任せれば、物事は一直線に前進しうる。そして、時間は絶え間なく進む。機械も適切な動力を与えられれば進み続けることができる。しかし、歴史や経済学といった分野では、その過程に人が関わっており、人が関われば、結果は変化と浮き沈みに富んだものとなる。それは主に、人が落ち着きのある冷静な生き物ではなく、感情的で一貫性の無い生き物だからなのだと思う。

サイクルの波が無くなることは決してない。もし完全に効率的な市場というものが有るのなら、そしてもし人々が感情を排し、冷徹な計算に基づいて判断を下すのなら、サイクル(あるいは、少なくともサイクルの極端な波)は消滅するかもしれない。だが、そんなことはあり得ないのだ。消費者が経済要因や外生的な事象、地政学的あるいは自然発生的な要因に対して感情的に反応し、支出を増やしたり減らしたりすることから、景気は拡大と後退を繰り返す。それでも人々は10年に一度くらいの間隔で人々はサイクルが無くなったと思い込むのだ。

サイクルの存在を無視し、これまでのトレンドをそのまま未来に当てはめようとすることは、投資家が犯しうる重大な危険の一つである。人々は往々にして、好調の企業がずっとその調子を維持する、あるいはアウトパフォームしている投資が永遠にアウトパフォームしつづけるかのように振舞う。だが、トレンド反転する方が、現実となる公算は大きいのだ。初心者の投資家が、トレンドが長期化する現象に初めて出くわしたのであれば、サイクルが止まるというかつてない状況が生じうる、と考えるのも当然かもしれない。だが二回目、三回目と経験を積んだものなら、サイクルが無くなることはあり得ないと気づき、その認識を自らの強みとすべきだ。