レペゼン 

日々の気づき、目標設定etc

市場の効率性(とその限界)を理解する

〇効率的市場仮説

・市場には数多くの参加者がおり、参加者は関連するあらゆる情報を概ね同程度に入手することができる。参加者は知的で客観的な目を持ち、意欲的で努力を惜しまない。そして広く知られ、普及している分析モデルを用いている。

・これらの市場参加者の力が結集することで、情報は完全かつ即座にそれぞれの資産の市場価格に反映される。そして、参加者がただちに安すぎる資産を買い、高すぎる資産を売ることで、資産の価格は絶対的にも、他の資産との相対比較でみても公正な水準になる。

・したがって市場価格は資産の本質的価値の正確な推計値なのであり、参加者が常に不公正な価格を認識したり、そこから利益を得たりすることはできない。

・このため資産は、他の資産との相対比較で「公正な」リスク調整後リターンが期待できる価格で売られる。リスクの高い資産は、買い手をひきつけるために他の資産よりも高いリターンを提供しなければならない。市場は妥当とみられる価格を形成するので有り、タダ飯をふるまうことはない。つまり、追加的なリスクと関係のない(そしてリスクの増加分を埋め合わせるわけではない)追加的なリターンは生じない。

合理的で計算能力のある数千もの人が、ある資産についての情報を集め、入念かつ客観的に評価したら、その資産の価格は本質的価値から大幅に乖離するわけがない。ミスプライシングは日常的に起きるものではなく、したがって市場に勝つことは難しいはずだ。証券取引所などの主要株式市場では何百人もの人が儲けたい一心でチャンスを探っている。そして、みな同等の情報を入手している。そこではミスプライシングはどれほどの頻度で起き、個人がそれに気づくことがどれくらいあるのだろうか。「頻繁には起きず、それに気づく者も多くはない」だが、そこに二次的思考の核心が有る。

効率的市場仮説における用語の中で、二次的思考をする者が拠り所とするのは非効率性である。非効率性という表現は、平たく言えば、市場では過ちが起きやすく、そこから利益が生じうることだと私は考える。

人間は冷徹な計算機ではない。むしろ、ほとんどの人は強欲、恐怖、嫉妬などの感情に突き動かされて客観性を失い、重大な過ちを犯す傾向がある。過ちとミスプライシングが起きている市場では、たぐいまれな洞察力を持った者が勝つことが可能である。つまり、非効率性の存在によってアウトパフォーマンスの可能性が生じるので有り、非効率性がアウトパフォーマンスの必要条件と言えるのだ。

非効率性は素晴らしい投資パフォーマンスの必要条件である。完全に効率的な市場でアウトパフォーマンスを上げるには、市場のどこかに、乗じるべき非効率性(欠陥やミスプライシング)がなければならない。ただ、そうした要素があったとしても、それだけではアウトパフォーマンスの十分条件にはならない。非効率性の存在は、価格が常に公正なわけではなく、誤りが生じていることを意味する。つまり、価格が低すぎる資産も有れば、高すぎる資産も有るということだ。割高な資産よりも割安な資産をつねに多く買うためには、「他の投資家りょりもすぐれた洞察力が必要」なのだ。